高度成長期その1
プラモデルの会社
昔 努めていた会社(佐野市)の跡地を見る機会が有りましたが ぺんぺん草が生えていましたね。プラモデルの会社で設計と言うか、プラモデルの部品ひとつひとつを金型屋さんが彫っていくので その図面作成です、始めに質感を出す為に木型を作り それと図面を基に金型を掘っていく、凄いですね金型屋さん その図面作成の仕事を3年位してました あの頃研究室と言ってたのかな 金型を2トントラックに積んで東京の新小岩辺り迄持って行きました ここに金型屋さんが有ったんですよ、ここから何回も修正を重ねてプラモデルが出来上がって行きます。
説明書/パッケージの作成
後一つの仕事はプラモデルの説明書を作ること 何番の部品と何番の部品を付けて と部品の形を交えての説明書です、これが大切なんですよ 上手に説明出来ないと 作る人(お客さん)はパニックです、苦情殺到ですよ。最後はパッケージの作成、この箱の絵ですが 大きくなるとプロの絵描きさんに頼みます。これが有名な絵描きさんは なかなか描いてくれない、売り出し日は決まっている そこで私は絵描きさんの家へ泊まり込みで催促です 1週間位泊まり込みましたよ 前橋在住の人で私はする事が無いので散歩、体操 です すると奥さんと仲良しに成りデパートに買い物のお手伝い そんなかんやで 出来上がった絵を持って目出度くご帰還です、売り出し日には間に合いました。こんな我らの課長がプロ級の絵を書く人で簡単なパッケージの絵は描いてました。
見本市
年に一度 見本市が有りました、この頃 毎日帰りは10時頃なので夜食を いまでは有名なラーメン屋さんの出前を取って食べてました、これが 見本市の1週間位前になると 帰りは午前様すなわち午前0時過ぎ、数日前には徹夜も 考えられますか ? でも 当たり前で不満、不安 は全然有りませんでした。しかも みんな 良い人ばかりで 楽しかったですよ、なんでそんな職場を辞めたかって ? それが高度経済成長期ですよ、あの頃 給料が毎年30%上がった そんな新聞報道に踊らされて、本当かどうかは分かりませんが惑わされ 辞めて東京へ出て行きました。
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